これもまた電子書籍。
自詠の和歌と、山村の温泉の随筆を、交互に構成した作品。
東北のようなのだが、どれも行ったことがない。
いつか行けるだろうか。
言葉少なめな随筆であるだけに、ちょっと行ってみたい感じもする。
これもまた電子書籍。
自詠の和歌と、山村の温泉の随筆を、交互に構成した作品。
東北のようなのだが、どれも行ったことがない。
いつか行けるだろうか。
言葉少なめな随筆であるだけに、ちょっと行ってみたい感じもする。
この本もまた図書館で借りた。
中央アジア史に興味はあるのだけれど、どうも歴史書は苦手だ。
新書だったら読めるかと思ったけれど、眠くなってしまう。
この本はロプ・ノールをめぐる探検家ヘディンについての本でもある。
この本もまた図書館で借りた。
東西の地獄が集められて、さながら地獄のオンパレードである。
まぁ、たいてい人間というのはろくでもないものだから、戒めをしなければ堕落するものなのだろう。
こんなことをしてはいけません、というものがあれば、それをかいくぐっていけないことをしたがるようで、罪状も豊富になるし、地獄の責め苦もバラエティに富んでしまうというものだ。
これもまた電子書籍で読んだ。
青空文庫に夢野久作が入っていると気付いて、久しぶりに読んでみようかとDL。
たぶん読んだことが無い。
読み出して、あれ?これって、ウィリアム・ギブスンの「記憶屋ジョニイ」じゃないか、と。
実は電子書籍で読んでいるのだけれども、一話一話、画像を張り付けるのも何なので、最初に読んだ時の新潮文庫の画像を張り付けることにした。
久しぶりに読み返して見ると、微かな違和感がある。
書いていることが判らないとか、不快だということではないのだけれど、何か上滑りしていくような。
もしかすると、梶井基次郎の作品は、読み手を選ぶのかもしれない。
いくつか読んでいていても、違和感は消えていかない。
むしろ、かせきさいだぁ≡のフロウを読んでいるかのようだ。
(1stアルバムの曲に、かなり引用されていたのだった)
気がつけば、もうずいぶん遠いところまで来ていたのだなぁ、という感想のようなものかもしれない。