読了まで何ヶ月かかっただろうか。
まぁ、長い旅行記である。
それだけ道中の出来事やら沢山あるのだが、事の仔細が、上から目線なのが気になった。
明治維新の矜持を前提に他国を眺めているので、それはもう酷い言い様である。
冒険記として、或いは民俗学として、当時のチベットの人々の暮らし様がわかるのだが、一方で偏見に満ちた政治や経済の記述はあてにならない気がする。
だが、二十世紀初頭の国際情勢や日本人の考えのようなものが透けて見えてくるのが面白い。
幸田文は幸田露伴の娘、と書いてみても、もはや幸田露伴の読者なんて、学生か年寄りだろうか。
ましてや、娘の幸田文なんて読まれていないような気がしてならない。
この随筆(あえてエッセイとは言わないでおこう)は、新聞に日々掲載されたもののようだ。
そこで綴られる日常と今の自分との距離感に思いを馳せると共に、変わらないものの数を数えてみたくなる。
それ以上に思うのは、幸田文のような上品さというものが、今はどこにあるのだろうか。
この随筆の語り口というものは、子供の頃の東京の東側の感じがする。
それは観光地としての下町ではない。
江戸情緒だとか、下町風情といったものではなくて、そこで暮らす人たちの言葉使い、息遣いのようなものが、立ち昇ってくるように思った。
電子書籍をふらっと買ってしまった。
モーリー・ロバートソンは、週末深夜のFMでオルタナ系の電子音楽をかけるイメージしか持っていなかったのだけれど、最近はTwitterで発言をみかけたり、TVにも出ているようだ。
そんなモーリーが本を出していたので、ちょっと買ってみた。
ネットでフラット化する世界観の話。
ちょっと話題が前だよな、と思ったら6年前の本だった。
自分を信じていい時代 水平化した世界で生まれる多様性 (カドカワ・ミニッツブック)
この本もまた図書館で借りた。
改めてビジネス書を読んでみたものの、いまいちピンとこない。
ビジネスにおいて様々な国、人、習慣を組み合わせて活動することのノウハウをまとめた本である。
それだけのことに、フラットという言葉を使ってしまうことのほうが、実は問題なのではないだろうかという気もする。
途中で飽きて流し読みしてしまった。
この本もまた図書館で借りた。
老いの問題とは何なのか、残された時間を意識しながら生きるということはどういうことなのか、アドラー心理学の考えを用いて一つの答えを導いているように思った。
環境が変わり、対人関係が変わることで直面する問題に対して、アドラー心理学観点で解決策を提示する、そんなケーススタディのような本だ。
定年後の人生を変えるアドラー心理学 Adler’s Barへようこそ (The New Fifties)
この本もまた図書館で借りた。
前からちょっと気になっていたアドラー心理学をちょっと読んでみようと思った。
とはいえ、いきなり専門書に手を出すほどうぬぼれてもいない。
ちょっとした入門書で、概要がつかめれば、と借りた。
読んでみると、なるほど流行る理由がありそうだと思った。
自己啓発、ポジティブシンキングにつながる考え方なのだな。
原因論ではなく目的論。
魔法の言葉など、いかにもな用語が並ぶ。
だが、教育にも役立つらしい。
もう少し読んでみようかという気になった。
日本一わかりやすいアドラー心理学入門 (リンダパブリッシャーズの本)