雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

トリエステの坂道/須賀敦子

須賀敦子氏の名前は、アントニオ・タブッキの翻訳者として覚えてはいた。

しかし、作家としての作品に手を取ることもなかったのだが、ちょっと読んでみようかと図書館で借りてみた。

実に不勉強なことなのだが、イタリア在住の後、上智大学で教鞭を執り、日本文学をイタリアに紹介されていたことを知った。

この本は、氏のイタリアでの生活を下敷きにした、家族を中心にした随筆である。

イタリアだから、家族だから、ということではなく、日本でもありそうな、その辺りにいる家族や知り合いの話が淡々と語られる。

ややもすれば平淡になりそうなだが、何故か惹きつけられるのが面白い。

 

 

トリエステの坂道 (新潮文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)

 

 

ハーモニー/伊藤計劃

スマートウォッチがリアルタイムに人体の情報を収集し、クラウド上に集積して、AIが夕飯のオススメをプッシュ通知で知らせる、というのは既に現実である。

システムに接続すると健康が維持される世界は、徐々に現実に近づいている。

フーコーが告発した生権力が支配している社会は、反対意見もなく広がっていく。

この本の舞台になっている世界は、現実と地続きの風景であるため、そこで起こる事件はとてもグロテスクでリアルに見える。

作者が明日にでも起こりうるかもしれない未来を描いたのか、現実とテクノロジーがSFの想像力に追いついたのか解らない。

しかし、この本は「わたし」に関する考察でもある。

それぞれの「わたし」がいる限り、世界には平和もなく汚れている、と考えるのはカルト的発想に他ならないと思うが、それが本当に選択され得るのか、という思考実験でもあると思った。

最悪の結果があるならあいつはそれを選ぶだろう、という、まるでマーフィーの法則のように物語は転がっていく。

だが、物語が終わっても、その世界が終わらない、というのが、このデストピアの特色でもあり、現実に進行している世界なのだろう。

 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

アドラーをじっくり読む/岸見一郎

最近、アドラー心理学をよく耳にするので、また解説本を読んでみた。

そろそろ直に触れたほうが良いだろうか。

まだ何故か躊躇ってしまう。

 

アドラーをじっくり読む (中公新書ラクレ)

アドラーをじっくり読む (中公新書ラクレ)

 

 

白い人・黄色い人/遠藤周作

実に居心地の悪い小説だ。

だが本来、小説とはそういうものだろう。

「白い人」はドイツ占領下のリヨンが舞台である。

ナチスに協力する無神論者の主人公と、拷問にかけられようとも神を信じ、レジスタンスに協力する旧友。

限界状況における倫理的行動がテーマだと思うのだが、主人公は背徳的な歓びに心を囚われて、裏返しの倫理的存在ではある。

神を信じ、来世での救済を信じることの裏返しで、信仰する者を唾棄し、その倫理的行動をせせら笑うことが喜びであるのは、ナチス占領下というやがて訪れる悲劇的結末においてのみ、生き生きと描かれていると思う。

「白い人」は神ありきの世界の倫理的行動の裏表である。

これに比べ「黄色い人」の舞台は、終戦近い神戸である。

結核の発症で兵役を逃れた主人公、敵国に留まることにした棄教者。

主人公は友人を裏切って、友人の婚約者と関係を結び、聖職者でありながら異郷の女と関係を結んでしまい、聖職を追われた棄教者の二人が、終戦近い神戸の特高に探られている。

「白い人」とほぼ同じ時間軸でありながら、神なき世界で生き延びることが描かれている。

やがて死すべき存在の二人は、生き延びることで何が得られるのか、と作者は問うているのだと思った。

この二つの中篇小説は答えを出さない。

読み手の前に問は、出されている。

信仰によって地獄を生きることと、信仰を捨て生きることの意味。

なかなか難しい小説だと思う。

 

白い人・黄色い人 (新潮文庫)

白い人・黄色い人 (新潮文庫)

 

 

<レンタルなんもしない人>というサービスをはじめます。/レンタルなんもしない人

Twitterでアカウントを見かけて、本がでてるので読んでみた。

ネットアカウントの方の本を読むのは2人目だと思う。

いい意味でも悪い意味でもなく、ネットで見たままの本だった。

Twitterで知っている人が、意外な一面とか裏話とか期待しても、ここには知っている以上のことはない。

この本を読んでTwitterを始めるかと言うと、そうは思えない。

ネットが一つのメディアとして成り立っているのだから、その上で本を読むのはどういう意味があるのかと考えてしまうが、いまのところ無いような気がする。

TVドラマのノベライズより、質が低いと思う。

 

 

それは「うつ病」ではありません!/林公一

何となく借りてみた。

先日のガザニガの本を紹介していた精神科医の方だと思う。

中年にもなって久しいと、「うつ病」はちょっと身近に感じる。

大したこともやっていないが会社員生活の中で、メンタルに問題があって辞めてった人は何人もいるし、辞めないまでも社内でハラスメントを繰り返しているらしい人の噂も聞く。

今にして思えば、あれはうつ病だったのかな、と思う人もいるが、本当にうつ病だったのかは知らない。

会社という組織の中では、色んなことが起きていても、様々なフィルタを通して情報が伝わる。

もしかして、過去にうつ病の方が近くにいたのに、手を差し伸べられなかったかもしれない、メンタルの問題があって辞めてった人から業務を引き継ぐ時に、間違った対応をしていたかもしれない、そしてそれは明日にでも自分にも起こりうるかもしれない、そんなことも考える。

歳を重ねることでの恐ろしさの一つだと思う。

この本は20のケーススタディに対して、著者のコメントが加えられてうつ病とは何か、擬態うつ病と名付ける状態、そして社会や医療の抱える問題が説明されていく。

基本は論理的かつ平易に、しかし時に情緒的な言葉も飛び出す辺りが、著者らしい味なのかと思う。

病気をアピールするやつほど健康だという感覚は、ほぼ正しい。

しかし、うつ病を擬態することで、逃避し甘える人は、本人なのか周りなのかわからないが、何らかの問題が存在している、というのもありそうなことだ。

もし、自分がうつ病かもと思っている人は、この本は読まないほうが良いかもしれない。

擬態うつ病であることが分かって、せっかく見つけた言い訳を、否定されてしまうかもしれない。

とはいえ、そういった悩みを抱えた方が、このブログを見てるとは思えないので、そんな意見は大きなお世話というものだ。

 

それは、うつ病ではありません!  (宝島社新書)

それは、うつ病ではありません! (宝島社新書)

 

 

イスラーム入門/中田考

イスラム世界は、間違いなく今後の世界の一つの軸になる、と思っている。

99のキーワードで、イスラム世界の歴史、政治、社会、文化などをざっと俯瞰できる本。

到底、数ページの話だけでは理解できたとは言えない。

入門としては良いのだけれど、そこからどう掘っていくかは考え中。