雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

玩物草紙/澁澤龍彦


むなしさのゆくえ

玩物草紙 (中公文庫)

玩物草紙 (中公文庫)


澁澤龍彦らしいといえばらしいエッセイだ。
ヘビーな本を続けて読んでいたので、少し軽めのものをと思い立って、本棚の奥から引っ張り出した。
シブサワを読んでいたのは高校から大学の前半ぐらいか。
読み始めると何だか懐かしい感じがする。
そもそも、このエッセイが書かれたのも、30年位前か?
内容としても、博覧強記で押していくだけでなく、個人的な思い出話が紛れ込んでいる。
(年寄りが思い出話をしなかったら誰がする?というのは黒田硫黄のマンガの台詞だったか。)
本のタイトルは、玩物喪志の洒落であり、様々なモノにまつわるエッセイであり、題材が古いとかそういうことではない。
懐かしさを覚えるのは、こういうことかもしれない。
同じようなエッセイが新刊で出ていたとして、今の自分は果たして自分は手に取るだろうか?と考えてみる。
当時の高校生の自分だったら、手に取るかもしれない。
でも、今時点で高校生だったとしたら、手に取るだろうか?
当時も今も書店には、澁澤龍彦の文庫本は並んでいる。
シブサワ的なものを通過する前後というのもあるが、シブサワ的なものの価値、というか色というか、有り様というか、何かが違っているような気がするのだ。