雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

水中都市・デンドロカカリヤ/安部公房


なにかふかいな

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)


昭和20年代の短編集。
安部公房を読み始めた頃に、古本屋で見つけて買った記憶がある。
改めて読んでみると、この不快さは何だろうか?
神経を逆なでするような、ヤスリで皮膚を撫ぜられているような、ざらついた感触。
小説というより寓話に近い。
だが、何か教訓を残すのではなく、斜にかまえた様な皮肉めいた話、という感じか?
そうではない気がする。
何か現実を否定しているのだが、ユートピアも否定している。
どこにも根拠がないこと、救いがないままに物語は宙吊りにされている。
夢を写し取ったかのように、物語は意味を拒絶しているようだ。
つまり、物語は展開するのだが、そこにあるのは必然ではないようだ。
また、政治的なメッセージが込められている様に見える物語から政治色を除くと、その不条理さ、言いようのない不快さが残るように思う。