ひきのばしてもなにもしない
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 文庫
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初めて読んだのはいつだったか、おそらく高校生の頃だろうか。
漱石の初期の名作と言われ、国語の教科書にも載っていたような気がする。
改めて読み返してみると、なんとも奇妙な小説ではないだろうか。
主人公である画工(えかき)が山奥の温泉へ訪れる。もちろん絵を描きに来たのだろうけれども、一向に絵を描こうとはしない。真の芸術とはどうとか、これを俳句にしたらどうとか、漢詩にしたらどうとか、洋画家であるようなのに水墨画の世界がどうとか。結局、絵は描かずに、そこに住む人々や宿の出戻りの娘と話をしているのだが、その村落共同体の中に流通する噂話に首を突っ込むわけでもなく、出戻りの娘とどうこうしようということもなく、「こう考えた」的な独白が続く。
これは何かの逆説なのかもしれない、とさえ思われてくる。
すなわち、漢籍俳句の素養の上に、西洋文化(洋画)を接木しても、1枚の絵すらも産み出さない、という急速な西洋化に対する皮肉であるとか。漢詩がベースの内的独白、江戸っ子のしゃべり言葉がベースの会話、これらの云わば東洋的なランガージュに基づいた世界の分節化によって洋画を生み出すことは出来ない、つまり、世界を分節化するための言語の西洋化がなされなければ、それは西洋文化の真似でしかないとか。それまで描けなかった絵が、戦争という負の西洋文化に触れることで、描くきっかけが掴めるとか
話のプロットは最後の数ページであろう。
本来なら短編小説でも構わない筋書きを、漱石は何らかの理由で引き伸ばしている。