雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

クラッシュ/J・G・バラード


技巧・象徴・置換・事故・傷跡・収集・再現・倒錯

クラッシュ (創元SF文庫)

クラッシュ (創元SF文庫)


自動車が性のアレゴリーであり、自動車事故は性交のメタファーである、という物語ではない。
自動車に代表されるテクノロジーは既に身体の延長であり、身体の一部である。
従って、身体におけるフェティシズムは、テクノロジーの具現化である自動車においても設定可能である。
肉体の性における技巧論、象徴論は、自動車事故、傷跡と同義であり、事故現場の収集、事故状況の再現は、ポルノグラフィックな行為に他ならない。
自動車事故というひとつの性的な行為の中へ、ポップスターを代入することで、それはまさにその倒錯性を増大させる。
この物語は、シュルレアリスムを説明する際によく引き合いに出される、「手術台における蝙蝠傘とミシンの出会い」をさらにエスカレートさせ、2つの異物の出会いが置換可能である前提に倒錯の極限に至ろうとしている。
従って肉体の性は象徴性に向かって走り出し、自動車事故における性はその猥雑さ、倒錯性をエスカレートしてゆく。
従って、この物語はポルノグラフィだと言える。
バラードの物語は決して判りやすいものでは無い気がする。
だがその内側に入り込むとそれは無限に広がっている。
この本が書かれたのが、1973年であるということも、ある種の驚きでは無いだろうか?
ここにあるのはSFがよく描いてしまうあり有べき時間軸の上にあるユートピアでも、その裏返しであるデストピアでもなく、人間の意識とその倒錯性を極限に押し広げていると言えよう。


クラッシュ

クラッシュ

最初に買ったのは、ペヨトル工房