雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

雨は降るがままにせよ/ポール・ボウルズ


意図的にずらされた

雨は降るがままにせよ

雨は降るがままにせよ


以前、ボウルズを読むのは悪癖だと書いた。
そして、再びボウルズである。
この物語はタンジールを訪れたアメリカ人のある種の悲劇に至る物語であるといえる。
ここに登場するのは日常から逸脱であるようにも見える。
また、合理性と非合理性の衝突でもある。
物語は悲劇へと収束していくのだが、それは因果関係ではないし、何かの抒情でもないようだ。
それは不条理なのかというと、抗いがたい運命であるかのようにも見えるし、逸脱行為が目指すところの周縁をめぐる物語にも見える。
訳者解説にあるように、重層的な物語と片付けてしまうのは、何かが違う。
何か意図的に中心をずらしているような、そんな構図をさらに重ねているのではないか、そんな気がする。