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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

黒いユーモア選集〈1〉/アンドレ・ブルトン


リトマス

黒いユーモア選集〈1〉 (河出文庫)

黒いユーモア選集〈1〉 (河出文庫)


ユーモアとは、というか、笑いとは何であるか。
この本に集められているのは、シュルレアリスムの作家の作品ではない。
むしろ19世紀以前のフランス文学である。
この本で具現化したかったシュルレアリスムとは何であるだろうか?
ブルトンの判り難い序文はついているが、つまるところ、シュルレアリスムとは何かを表すことの主張だけではなく、何かを読み取ることの、読み取る行為そのものの主張ではないだろうか?
上巻にはサドやランボーユイスマンスリラダンロートレアモンなど、錚々たる顔ぶれである。
集められた作品は、「黒い」「ユーモア」なのだろうか?
だがそれはリトマス紙のように、読者の読みが試されていると思うのだ。
シュルレアリスムを主張することは、何かの表出をカタログするのではなく、ありふれた日常の中にでさえ、別の日常以上の意味を見出すこと、その文脈が奇なることの読み、その点を意識していることがシュルレアリスムなのでは無いだろうか?
無意識を賛美することは、カモフラージュされた意識の賛美であるだろう。
無意識の海の中に無限の可能性を見出すことは、つまりは意識への全面的な信頼に他ならない。
ブルトン的なシュルレアリスムと、シュルレアリスムに可能性を見出し、吸い寄せられ離散していった、言わば傍流のシュルレアリストの違いはそこにあるのでは無いだろうか?


持っているのはハードカバー