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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ねむれ巴里/金子光晴


西も東も

ねむれ巴里 (中公文庫)

ねむれ巴里 (中公文庫)


マレー半島からパリ、そしてブリュッセルへと放浪する。
ここに描かれるパリは「花の都」と書かれもするが、ずるがしこい移民たちと、田舎者としてのパリ人、裏ぶれて貧困にあえぐ生活、欺瞞、たかり、といった、光よりは闇に力点が置かれているようだ。
西洋人と東洋人、日本人と中国人、対比の形で語られるが、その実は共通する「人性」のレベルを描き出しているようだ。
互いに騙し合い、何かと性に足をとられて、金をせびる、そんな姿は西も東も関係なく、人間としての本性に近い振る舞いなのだと言いたいかのようだ。
そのことがどうということではなく、金子光晴がそのように見ていること、そこに善悪のフィルターを持ち込まない視線が、この本の価値であるように思う。
そしてその極地だと思ったのが、自殺を意識する件である。
読み進めていくうちに判ったのだが、昭和初期のことを1970年代頃に回想して書いている。
だが、その時の心の動きが、鉱物標本かのように記されている。
自殺を意識するときに、そこには自己を哀れむのでも無く寄る辺の無い孤独のイメージが貫かれている。