雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

予告された殺人の記録/ガブリエル・ガルシア=マルケス


愛情も憎悪も名誉も矜持も慈悲も怠惰も虚偽も

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)


この本は映画化もされた、ガルシア=マルケスの中篇小説である。
もともと、「エレンディラ」や「百年の孤独」を知っていたので、この本には手がのびなかったのだが、改めて読んでみるとこれはこれで傑作だと思う。
とある町で、結婚式の祝いの翌日、司祭長の訪れる日に、殺人事件が起きてしまう。
しかも犯人たちが周り中に予告していたにも関わらず、誰も止められなかった。
事件の描き方というのが、筆者が当時の事実を様々な人へのインタビューを通して浮かび上がらせるような、言わばルポルタージュ的な方法である。
その事件の被害者をよく知る人間、加害者をよく知る人間、事件の発端となった出来事の関係者、小さな町の濃密な人間関係、それぞれの人間の想いが描かれてゆく。
ルポルタージュ的に描きながらも、事件の真相がどうなのか、事件の起きた因果関係を明らかにするということを追求するのが主題ではなく、その町に暮らす人々の人間関係を丹念に描き出していく。
モチーフとなった事件が本当にあったらしく、この作品が発表されたことで騒動も起きたらしいのだが、むしろガルシア=マルケスがその事件から、その日、その町のそこにいた人々の姿を描き出したことで、リアルでありながら普遍的なものが捉えられていると思う。
愛情も憎悪も名誉も矜持も慈悲も怠惰も虚偽も、どれもが人間の姿であり、その事件のあったその日のその町で全て存在していたのだ、と。
ただ、それまでの日常と違う殺人事件は、それでも(あるいはそれ故に)起きたのだ、ということである。
止められたかもしれない事件は、事実関係的には様々な人々の思惑の間をすり抜けて、あるいは乗っかって、現実となってしまった。
そのことを嘆いたり、感情に訴えかけようとするのではなく、冷徹に「人間」を描こうとしているのだと思う。
日本語でも百数十頁ながら、濃厚な作品であり、読み応えがある一篇だと思う。