雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

饗宴/プラトン


確か中学生か高校生の頃に読んだのだと思うが、改めて読み直してみる。
哲学書だと思わず、小説として読んでみる。
すると、ソクラテスはいったい何をしようとしているのか、良くわからない。
まず、舞台となるアガトーンの家に入る前に、ちょっとと言ってどこかに行ってしまい遅れてくる。
いったい何の用事があったのだろう?
美について登場人物たちが様々な話を繋いでゆく。
美なるものには善なるものと不善なるものがあり、健康と病気、と対応させてゆく二元論が登場し、それを推すのかと思えば対立と調和の構図にすり替えて霧散させてしまう。
アリストパーネスはアンドロギュヌスの神話を滔々と話し、少年愛の話へと繋げる。
ソクラテス本人はこんな風に諌められたのだよ、と話す。
そこへ泥酔したアルキビアデスが乱入し、過去にソクラテスを手篭めにしようとして失敗した経緯を告白する。
その後は、乱痴気騒ぎがあって翌日の夕方に解散になったようだ。
家に入る前にソクラテスがアルキビアデスを呼びに遣ったのではないかとさえ思える。
プラトンは、この作品で伝えるはずだった「真なるもの」「美なるもの」「善なるもの」の系列化に失敗しているのではないだろうか。
ソクラテスに語らせるべき「イデア」が明確にしきれていないようだ。
だがそのおかげで、そんな誤読まみれにも出来るのだが。


饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))

饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))