雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ダヤン・ゆりの花蔭に/ミルチャ・エリアーデ


学生の頃によく行った神保町のとある古本屋では、小さい店ながら膝ぐらいの高さから天井までの本棚があり、その中でもエリアーデの宗教学の著作集は最上段の棚に鎮座していた。
その迫力に圧倒されてそのまま手が出ないで、未だに読めていないのだが、一方で小説の方で最初に読んだのがこの本だったと思う。


エリアーデの小説は幻想小説とカテゴリー分けされることが多いが、それはどうだっていい。
この本は「ダヤン」と「ゆりの花蔭に」の二編が収録されている。
「ダヤン」でのキーワードは、彷徨えるユダヤ人と最終方程式、そして1987年である。
物語のテーマは時間と空間である。
主人公を物語の展開へ誘うトリックスター的な存在が「彷徨えるユダヤ人」である。
1987年が何を意味するのかは、読んでみたほうが良い。
物語の粗筋は、ここでは書かない。


「ゆりの花蔭に」はタイトルそのものが、キーワードと言えよう。
この物語は48年前の1939年3月の「ゆりの花蔭に」という会話をしていた人物は誰だったのか、というところから始まる。(だから、これは1987年の物語なのだ。)
舞台はパリのアパートの一室であり、登場人物たちは亡命ルーマニア人たち、という設定だ。
「ゆりの花蔭に」というキーワードをめぐり、登場人物たちが増えて、その意味するところに次第に近づいてゆく。
登場人物たちは何をしようとし、どこへ行こうとしているのか。
それは別のアレゴリーでもある。


1939年と1987年を結び、この二つの物語の意味するところは、仄めかされてはいるが、明らかにはされない。
「ダヤン」は1980年に、「ゆりの花蔭に」は1982年に書かれ、エリアーデ自身は1986年に亡くなった。
さて、1987年に何があったのだろうか?


ダヤン・ゆりの花蔭に

ダヤン・ゆりの花蔭に