雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

満洲鉄道まぼろし旅行/川村湊

満洲国に関する様々な本は出版されているが、この本は当時の写真や広告といった資料から、架空の旅行として再構成している。
正面立って政治問題や、歴史問題として論じるのではなく、言うならば裏側(むしろ側面か?)から、「満洲国」の姿を捉えようとしていると言えるかもしれない。


案内人であるおじさんと、小学六年生のサツキくん、四年生のヤヨイちゃんの三人が、神戸から大連に到着し、奉天、撫順、新京、吉林、ハルピン、チチハルノモンハンに至る。
当時の最新鋭の特急「あじあ号」に乗り、観光地を巡るという趣向だ。
だが、それだけでなく子供二人への特別授業という体で、平明な言葉で「満洲国」へ批判的な視線を投げかける。
多くの図版と、平易な言葉で綴られる旅行記なのだが、決して軽い読み物でもないし、ノスタルジーを誘うための本でもない。


著者によって並べられた資料が、架空の旅行記というコンテクストで配置されることで、いったい何が見えてくるだろうか?
(ここで敢えて、関東軍の傀儡国家であるとか、同床異夢の挫折だとか、いまさら繰り返すのはやめておこうと思う)
この旅につきまとう、というよりこの旅そのものの、薄気味の悪さは何だろうか。
快適な旅行を支えているのは、特急「あじあ号」に象徴される最新技術、そして「ヤマトホテル」に象徴される日本との親和性、そして語られない満洲鉄道以外の場所であろう。
当時の最新技術がふんだんに投入され、満洲鉄道に沿って、荒野に人工都市があっという間に作られる。
そこでは、日本風のサービスが保障され、日本的な地名が付けられ、幾つもの神社が建てられる。
それはまるで、日本の残像かまぼろしのようではないだろうか。
だが、社会の底辺で働く苦力たち、日本語教育を強いられている日本人以外の民族の子供たち、そういった姿が異国情緒の文脈で収集され、一方では口当たりの良いスローガンによって「満洲国」の理想が喧伝される。
ここにあるのは、何から何までまがい物なのかもしれない。
まがい物をまがい物として見ていないこと、むしろそれに耽溺する姿が薄気味悪さの原因かもしれない。
この架空の旅行は、満洲の歴史につきまとう薄気味悪さを、裏側(または側面)から見ることで浮かび上がらせるのが、意図なのだろうと思った。


あとがきにあるように、満洲国には国籍法がなく、法的な意味での「満洲国民」は存在しなかったという。


満洲鉄道まぼろし旅行 (文春文庫)

満洲鉄道まぼろし旅行 (文春文庫)