雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

共産党宣言・共産主義の諸原理/カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス

今更この本について語ろうとしてみるのだが、どういった距離感なのか良く判っていない。
この本が書かれた背景には、19世紀ヨーロッパの世界がある。
市民革命と産業革命により台頭したブルジョワジーと、抑圧されたプロレタリアート階級闘争を告発し革命を促す。
だが、階級闘争によって歴史を読み替えるやり口は、私有財産の放棄を促すための方便にも思える。
抑圧されたプロレタリアートが闘争を通じて目指すのは、自らがブルジョワジーになること、負け組ではなく勝ち組になること、なのではないだろうか。
所有と富の配分における不公平感は、中庸の均衡に向かって解消するのではなく、各人が最大の利益を得ようとする競争を産み出すのではないだろうか。
そして問題の本質は経済なのだろうか、政治なのだろうか、社会保障なのだろうか、あるいは社会なのだろうか。
まだこの本との距離がつかめていない気がする。



(未完)