雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

類推の山/ルネ・ドーマル

ルネ・ドーマルの人となりは、巌谷国士氏がこの本の解説として、詳細に紹介されているので、ここではあまり書かない。
仲間たちと「Le Grand Jeu」(巌谷国士氏は「大いなる賭」、生田耕作氏は「大賭博」と訳されているようだ)という雑誌を発行し、シュルレアリストたちとの交流もあったが、12歳年上のアンドレ・ブルトンたちとは距離を置いていたようで、「シュルレアリスム第二宣言」ではその事を非難されている。
そして、この本を完成させることが出来ないまま、結核により36歳の若さで亡くなってしまった。


この本は、不可視の山の登頂を目指す冒険小説の体裁を採りながら、哲学的、或いは秘教的な認識を獲得するための物語だったようだ。
それは、この物語の冒頭に「類推の山」の説明として、
 「不可視のものの門は可視でなければならない」
と示されている。
天と地を結ぶ山という存在に対して、登山するという行為は、地を離れ天に近づくことであり、日常の意識を脱して高次元の認識に至ることのアナロジーだろう。
とは言え、20世紀の物語において、未だ発見されていないエベレストよりも高い山が存在する、という設定のために、かなりアクロバティックな論理で説明する。
登頂に向けて同志を募り、メンバーとしてのふるいにかけ、やがて出発する。
不可視の「類推の山」の傍に到着するのだが、時が満ちなければ近づくことは出来ない。
そうして麓に到着しても、なかなか出発できず、ようやく登り始めた辺りで絶筆となってしまう。
その後の物語がどう展開するかは、妻であるヴェラ・ドーマルが補足している。
そこで聞き出した最終章は
「で、あなたは、いったい何を探しもとめているのか?」
だそうである。
恐らく冒険小説として読みついで来た読者は、ここまで来ると、新たな認識を獲得する準備が整う予定だったのだろう。
そして最終章では「類推の山」の掟が開示される。
それは、次の山小屋へ出発するためには、後から登ってくる人たちへの用意をしておかなければいけない、ということらしい。
ドーマルは最終章に至るまでに、様々な挿話や会話に、そのヒントを散りばめている。
書かれなかった最終章を読者が読み終えた頃には、より高い認識へと連れ去られることになるのだろう。


類推の山 (河出文庫)

類推の山 (河出文庫)