雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

極楽/笙野頼子

笙野頼子と言えば、「タイムスリップ・コンビナート」としか答えられない程度の、聊か恥ずかしくなるほどの乏しい知識しかないので、ちょっと読んでみようかと図書館で借りてみた。
最初期の「極楽」「大祭」「皇帝」の三作が収められている。
これは何の物語なのか、それを説明するのは難しい。
これは紛れもなく小説であり、詩ではない。
小説なのだが、流れている時間は恐ろしく緩慢か、或いは時間は存在しない。
言葉が紡ぎ出されて、積み重ねられていくのだが、それは悪意の色に染められている。
そうだ、
この三作品に通底している(と感じた)のは、悪意なのだった。
しかし、作者が主人公に言寄せて、世界への悪意を語らせている、というだけではなく、むしろ、作者の主人公に対する悪意が満ちているようだ。
主人公たちは、どちらかと言えば、グロテスクで滑稽な姿で描かれている。
物語における、特権的な立場も与えられない。
主人公と作者がイコールで結ばれることもない。
だが、主人公と作者から吐き出される悪意だけは、ここにある。
そう思ってみたものの、これは理解できていることになるのだろうか、という疑念が晴れることはなく、まるでその悪意の重力圏に捉えられてしまったかのように思えてくるのだった。


極楽 (笙野頼子・初期作品集)

極楽 (笙野頼子・初期作品集)


文庫版も出ているようだ。