雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

人間椅子/江戸川乱歩

久しぶりに江戸川乱歩を引っ張り出して読んでみる。
やはり、「人間椅子」は傑作だ。
椅子職人が椅子の中に身を潜め、とある屋敷に運び込まれ、そこの夫人に一目惚れする。
倒錯した悦びの話のように記憶していたが、実はそうではない。
椅子に身を潜めたのは、窃盗目的である。
最初は外国人向けのホテルに納品され、屋敷に運び込まれたのも偶然だ。
偶然にも夫人に一目惚れするのだが、その自分の気持ちを告白したいというのは、月並みな普通の欲望ではないだろうか。
最初から、革一枚隔てた距離で、女性と身体を密着させたい、という倒錯した欲望を抱いていた訳ではない。
一目惚れした夫人と密着できる状況を、いつまでも享受できるよう仕向ける訳でもない。
これは純情な男の片想いの物語なのだ。
それを奇譚であるかのように仕立て上げるのは、江戸川乱歩らしさなのだろうと思った。


もう一つ、「木馬は回る」における、泣き笑いの人情話といった味わいが意外だった。
怪奇でもなく、探偵が活躍することもない。
中年男の生活苦、貧乏娘のささやかな願いまでもが滲み、何だか切なさもあるようだ。
それは大正時代から昭和初期の急激な社会の変化に伴って起きていた、東京の都市部での貧困層の拡大を、直接に描いているのではないけれど、間接的な影が落ちているように思える。
象徴的な出来事と結びつけるなら、関東大震災同潤会アパートが作られた頃の雰囲気が、物語の背景にあるように思えて仕方が無い。
そして、「毒草」にもその影が見て取れると思う。
当然ながら、その時代に生きていたわけではないので、そうだと言い切れるものではない。
だが、ちょっと前までの東東京に残っていた、街の匂いがする。
それはレトロとか、江戸文化の粋が残っているとか、そういった、云わば外部からの視線で切り取られた観光対象としての街ではない。
澱み、薄汚れて、停滞し、それでいて濃密な空気が漂う、そんな感じだ。


人間椅子 (江戸川乱歩文庫)

人間椅子 (江戸川乱歩文庫)


なお、この本に収録されている作品は以下の通り。
人間椅子
「お勢登場」
「毒草」
「双生児」
夢遊病者の死」
「灰神楽」
「木馬は回る」
「指環」
「幽霊」
「人でなしの恋」