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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

人魚の嘆き・魔術師/谷崎潤一郎

物語

処分しようと思っていたのだけれど、ふと思い立って読み返してみる。
なるほどこれは傑作かもしれない。
「人魚の嘆き」は、清朝の南京を舞台にした、手に入れられるものは全て手に入れ、現実に倦んでいる富豪が和蘭人から人魚を買い受ける。
その人魚の嘆きを聞いてやるという短編である。
物語の筋がどうとかと言うより、その唯美的で絢爛豪華な文体が作品のポイントだろう。
美なるものだけが唯一の価値あるものだというスタンスを表明している。
「魔術師」は大正時代の浅草六区に良く似た、架空の歓楽街が舞台だ。
アンドロギュヌス的な美貌の魔術師の見世物小屋に、カップルがその愛情の強さを確かめるために訪れる。
こちらも、物語の筋と言うより、歓楽街の描写に力を込めているようだ。
いかがわしくて、妖しげな世界が描かれる。
これらの作品で、自我だとか、家族だとか、苦悩だとか、そういった近代的なプロットは導入されない。
想像の中の存在が、美文調のレトリックで描写されてゆく。
だが、夏目漱石の「草枕」にあるような漢文調を下敷きにしたものでも無く、泉鏡花のようなうねるリズム感や、石川淳のような疾走感も無い。
つまり、話し言葉ではなく、書き言葉の小説であり、その特徴は、江戸時代からは切り離された、西欧文化を輸入した近代文学的なのだと思った。
そんな不満を差し引いても、これは水島爾保布のビアズレイ風の挿絵と相俟った大人のための童話として、傑作だと思ったのだった。


人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)

人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)