雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

アポロの杯/三島由紀夫

三島由紀夫を読んだ時に感じるこの距離感は、どこからやってくるのか。
それは、古典足り得るほどに時間が経過していないにも拘らず、同時代的であると言うほどには近くも無いと言うことだけではなく、三島由紀夫が拠っていた何かが、今ここで読んでいる自分にとっては、決定的に失われているということかもしれないと思う。
この本は、三島由紀夫が20代後半に世界一周旅行をした時の紀行文と、幾つかの評論が収められている。
だが、評論は読み通せなかった。
表題作の紀行文は、航海日記、北米紀行、南米紀行、欧洲紀行、旅の思い出、から成っている。
聊か気負った感じで始まる。
だが、ブラジルでカルナヴァルに触れ、そこに深淵を見つける。
一方で、ギリシャ的なるものに惹かれ、心酔する。
ブラジルで惹かれたり、欧州で酔ったように賛美したり、それは美と言い替えても良いと思うのだけれど、その美とは個人的な美意識というよりも、近代日本が求めてきたヨーロッパ文明の文脈での美意識なのだと思う。
そしてその文脈に拠るスタンスが、遠さの原因なのだろう。
方法としてオーセンティックであり、その文脈の中に居るのであれば、非常に的確なことを言っているのだろうと思う。
返すと、文脈の外に居るのであれば、その言葉は全く響かないだろう。
ただし、「旅の思い出」で、旅から戻ってきてからふとした拍子に、旅情を掻き立てられるというのは、よく判る。
旅のさなかよりも、より一層、旅の印象が、強烈に蘇る瞬間。
 

アポロの杯 (新潮文庫)

アポロの杯 (新潮文庫)