雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

芝生の復讐/リチャード・ブローティガン

これも大分前から気になっていたのだけれど、ようやく買った。
どの作品もほんの数ページの掌篇からなる、ブローティガンの短編集である。
例えば表題作の可笑しさは何と言えば良いのだろう。
可笑しな物語でありながら、庭の木を切り倒しガソリンをかけて燃やす男と、その傍らにいる鵞鳥たちの対比は、ほんの少し狂気と哀しさが混じっている。
あっという間に読み終えてしまったが、実は何も読めていないのかもしれない。
作品に籠められた何かは、どうすれば味わうことができるのか、それがよく判っていない。
読者を突き放している様でもあり、実は全て曝け出されている様でもある。
例えば「東オレゴンの郵便局」に出てくる、人間の老夫婦の姿をして車のシートに座っていた死んだ熊とは何なのか。
それは熊に他ならず、何かの象徴という訳でもあるまい。
だが、もたらされた違和感と可笑しさに、作品に籠められている何かがあるような気がする。
例えば「ドイツおよび日本両国全史」では、豚の屠畜場から聞こえる豚たちの悲鳴について語る。
そして、豚を殺すことと戦争に勝つことは関係があると考える。
その時点で、物凄いイロニーが籠められているのだけれど、

豚の悲鳴が聞こえないと、静寂は故障した機械のような音を立てた。

という一文で物語は終わるのだが、その繊細さは強烈な皮肉と背後にある狂気じみたものが一体となっている。
どうやら、一度読んだだけでは判っていないようだ。
もう一度読まねばならない気がしてくる。

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)