ふと、吉本隆明氏の歯切れの良い文章に触れたくなる。
この本は、吉本氏が過去について触れた、雑多な文章を集めている。
あとがきによると、担当者の小川哲生氏の編集力も素晴らしいようだ。
吉本氏自身でも語っているように、ある種の自伝のようでもあり、昔の東京の、それも隅田川とそこに浮かぶ佃を中心とした川の手の辺りの風景を描いた随筆のような本だ。
そして何より、過去と下町辺りに対する相反する感情を込めたその語り口が、文章のリアリティを高めているように思う。
もし、吉本隆明氏の著作で、いちばんのお奨めを選べといわれたら、この本だと答えるだろう。
- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: JICC出版局
- 発売日: 1993/12
- メディア: ハードカバー
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- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1999/11
- メディア: 文庫
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この本のことを書いている記事が他にないようなので、もう少し書いておきたい。
ひとつは昔の佃の風景を語るその口調だ。
吉本隆明氏が昔の佃を語る口調には、故郷に対する、愛情と離反の入り混じった微妙なトーンが含まれている。
吉本氏は、そんな自分を
じぶん自身の資質とも生涯とも、まだ和解できないでいるわたし自身
という言い方もしている。
その感じはよく判る。
ただの思い出話でも、気味の悪い昭和ノスタルジーでもなく過去を語ること。
そこにある、アンビバレンツがよくわかる。
もうひとつ書きたかったのは、父権的存在としての吉本隆明氏という印象だ。
何も文化人類学的な何かを語りたいのではない。
だが、吉本隆明氏の文章を読むたびに、何か「父なるもの」というのを想起させるように思うのだ。
ジェンダーとしての「男性的」と言ってみると、少しずれてしまう。
「母なるもの」というキーワードと対比しても、何か判るというものでもない。
だが、「父なるもの」が、吉本隆明氏の文章にはあるように思う。
もしかすると、それは読み手としてのワタシが求めている、ということなのかもしれない。
そして、その「父なるもの」を想起させる存在は、吉本隆明氏以外には見あたらない。