雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

気違い部落周游紀行/きだみのる

あざといタイトルではある。
内容は、第二次世界大戦の前後に、東京の西の外れの山村の寺に住み着き、その村の人々の姿を描いた、民俗学的な内容だ。
何故このようなタイトルなのか、何を意図しているのかは、著者自身が丁寧に解説している。
幾分、戯画的に描かれる村人たちの姿は、著者によれば、どこにでも居る普通の日本人なのだという。
狭い村の中で、足を引っ張り合い、助け合って生きている姿が、都会からやってきた「せんせい」によって描かれる。
だから、村人と筆者の間には大きな隔絶がある。
筆者が村人と打ち解け、その中に入っていると言っても、村人はそう思ってはいないだろう。
むしろ異人として、ある種コミュニケーションのハブ的な位置付けに見える。
例えば、戦時下のスパイ騒ぎ、戦後の政治活動の活発化に巻き込まれたりするのは、その共同体に属さない道化あるいはトリックスター的な役割を担わされているように思った。
だが、筆者である、きだ氏はそう見ていないようだ。
それよりも、村人たちの語り口が、なかなか面白い。
面白いと言ってしまうことは、村人たちを俯瞰する視線で評しているかのように見えるかもしれないがそういうことではない。
村人たちは自身の論理で行動し、むしろ、異人であるきだ氏があしらわれているようなのだ。
両者の間の越えられない隔絶と、非対称のコミュニケーションが、きだ氏が村人たちを描きこもうとするほどに際立ってくる、そんな本のように思った。

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)