雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

アノニマスケイプ こんにちは二十世紀/細川文昌

とても静かで恐ろしい本だと思った。
行旅死亡人とは、行き倒れて亡くなった方である。
明治32年に公布された「行旅病人及行旅死亡人取扱法」によって、手続等が定められている。
市区町村や公共団体が救護し、亡くなられた際は埋葬し、その費用を家族等に請求できる。
身元不明の場合、公告にて申し出るよう掲示される。
この本は、1901年から2000年までの行旅死亡人の公告と、その場所を写真に収めている。
二十世紀の百年の間で、写真に収められた場所には、誰だかも判らず、引き取り手の無い遺体がそこにあった。
この写真の意味しているのは、AnonymousのScape、ということだろう。
縊死、溺死、轢死、病死、餓死、凍死、様々な言い方で表されるが、どこの誰だか判らないけれど、一人の人がそこで亡くなってしまったということが、誰も写っていないありふれた街角のスナップのような写真に重ねあわされている。
死というものが、事件や事故、あるいは戦争という、特別な出来事として訪れることもあれば、日常の延長線上に寿命としてやってくることもあるのは想像がまだ可能だろうけれど、どこの誰かも判らない人の死が突然出現するのは、想像の域を越えていると思う。
仮に自分がそちら側になるかもしれないと想像してみる。
写っているモノクロームの風景は無表情で、そこに死を感じさせるものなど無い。
幾つかは見覚えのある風景すらある。
その風景の中で死を迎えると想像する。
つまり、この風景はそこで亡くなった誰かが、最後に見たかもしれない風景だ。
ここに写っているのは、やはり紛れもない死なのだと思った瞬間に、まるで総毛立つような恐ろしさに襲われた。

アノニマスケイプ こんにちは二十世紀 Anonymous Scapes: Hello, The 20th Century

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