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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

新編 綴方教室/豊田正子

随筆 東京

本屋で立ち読みして、鶏を絞める件を読んで、ちょっとだけ気になったので図書館で借りてみた。
豊田正子氏の「綴方」の授業の成果を本にまとめたもののようだ。
拙い文章だったのが、みるみる長さが伸びて行き、表現が豊かになってゆく。
事実の羅列だったところに、思ったことが差し込まれたり、会話の数が増えていく。
まるで自分の子供の成長を見るようで微笑ましい。


と途中までは思っていたのだけれど、この「綴方」の授業とは一体何なのだろう。
雑誌「赤い鳥」に掲載され、鈴木三重吉の選評が添えられること、それを頂点とした全国学校組織のヒエラルキーみたいなものがあったのだろうか。
授業で優秀と思われた作品は、「赤い鳥」に送られるのが、普通なようだ。
そして選評そのものも、なんだかイデオロギッシュな匂いがする。
自然主義文学的というか、ありのままを書くこと(それは、ありのままに見えるような脚色を身につけることに他ならないのだが)を至上命題とするのは、文学のぶの字も知らない子供たちを洗脳しているようにも見える。
もっと多様な表現があっても良いと思うのだけれど、何だか上手いだけの文章のようになっている様で、ちょっといただけない。
題材も身の回りのことの、ほんの些細なスケッチだったのが、父の失業問題や、近所付き合いの話、著者自身が芸者に売られそうになっている事など、そういった問題を描かざるを得ない状況に追い込まれているのではないかとも思う。


そうして描き出された、東京の下町、と言っても、四つ木、曳舟辺りの暮らしっぷりは、「最暗黒の東京」に描かれているほどの貧民街ではないが、それでも子供たちが工場で働いたり、金が無くて嘘をついて金を借りに行ったり、着るものがなくて恥ずかしい思いをしたりと、そう豊かな生活では無さそうだ。
だが、やはりその感じは、東東京には確かにあった気がする。
今もあるのだろうか。


新編 綴方教室 (岩波文庫)

新編 綴方教室 (岩波文庫)

こちらは新編ではない?
綴方教室

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