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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

科学と抒情/赤瀬川原平

確か記憶だと、ユリイカに連載されていた。
懐かしく読み返しもするのだけれど、細部は忘れていることも多い。
その中でも、広瀬隆についての話題が、気に留まった。
広瀬隆の顔が、前にも増して受難者の顔となっていると言う。
いろんなものを背負い込んでいる顔だと。
そして、原発の話題に触れ、岡本太郎の「芸術はバクハツだ」をもじって、「原発はバクハツだ」という冗談が出る。
今となっては、不謹慎な冗談になってしまったかもしれないが、それは嘘のような冗談に現実が追いついてしまったのだ。
トマソンも然りで、例えば「純粋階段」や「無用門」のように冗談のような存在であったはずが、デザインの一部として取り込んでいる事象が、この頃、既に始まっていたようだ。
恐らくこの本に収められた連載は、昭和末期だったと記憶している。
既にチェルノブイリスリーマイル島原発事故があったが、それを上回る深刻さの福島の原発事故が起こるなんて、冗談にも思っていなかった。
思えば、自民党政権交代も、サッカーW杯出場も、当時は冗談のような話だが、現実になった。
これは、下手な占いより嘘のような冗談のほうがマシということだろうか。
それとも、冗談を上回るほどのいかれた現実が訪れているということだろうか。
どちらにしても、四六時中まともでいることなんて、かなりの困難さが要求されるのだろう。
もうひとつ、記憶に残ったのが、偶然と反偶然という言葉だ。
何かの事象を見て、偶然だと思い自分たちの範疇から追いやり、反偶然なものを人間の考える秩序の中に固めている、と赤瀬川氏は考える。
自然は偶然に満ち、あちらこちらに偏りが発生している、という。
なるほどなと思った。
企業という狭い共同体の中に身を置いていると、計画と実績やら、目標と成果やら、あらゆる物事が必然でないと話は通らない。
必然でない物事は個人の問題へと還元される。
一日の大半の時間を、そんな風に息苦しく過ごしていた、というか過ごさざるを得ないよう仕向けられていたのだ、と納得した。
こちらも、まともな状態で過ごすなんて、かなりの困難さである。
少なくとも私にとっては。


科学と抒情 (新潮文庫)

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