雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

バッカイ バッコスに憑かれた女たち/エウリーピデース

この本もまた図書館で借りた。
ポンペイ遺跡にあるディオニューソス秘儀の壁画を知ったのは、高校生ぐらいだったろうか。
真っ赤な背景に、倒れこんでいる鞭打たれる女性と、その傍らで全裸で踊る女性の場面に、何かしら官能的なものを嗅ぎ取っていたように思う。
ディオニューソス自体は、ニーチェバタイユの著作で何度も登場する。
酒と狂乱の神であり、気になる存在ではあった。
この本を見かけたのは、昨年夏ぐらいで、買うか買うまいか迷っていたのだ。
エウリーピデースはギリシア三大悲劇詩人の一人である。
そもそも、ギリシア・ラテン古典文学には疎いのだけれど、エウリーピデースがディオニューソスを扱っているとなれば、食指が動くというものだ。
話の筋は単純だ。
テーバイの王ペンテウスとディオニューソスが直接に対峙し、捕らえようとするが逃げられる。
神と人間が対立したら、神罰は下されることは必然である。
ディオニューソスを捕らえて投獄しようとしたペンテウスは、ディオニューソスに唆され女装し、ディオニューソス秘儀を覗見しようとしたところ、樅の木の上に吊るされる。
その先はディオニューソス秘儀に耽った狂乱した女たちによって捕らえられ、生きながら八つ裂きにされる。
その先頭は自らの母アガウエーであり、狂気の内にあって自らの所業に気づいておらず、祖父カドモスによって真実を知らされる。
現世における政治権力と、来世における宗教的権力の対立と見ることもできようか。
あるいは、意識的なるものと、無意識的なるものの抗争と見ることもできようか。
ディオニューソス秘儀そのものは、明らかにはされていないが、その狂乱の一端が見え隠れしている。
次はニーチェでも読んでみようかという気になった。


バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫)

バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫)