雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

風の歌を聴け/村上春樹

この本もまた図書館で借りた。
というのも、以前は持っていたのだが、処分してしまったからだ。
いまさら村上春樹について何か書く必要もないし、このデビュー作について書かれている記事なんて腐るほどあるだろう。
何故今更にこの本を読み直したのかといえば、内容を忘れているような気がしたからだ。
だが読み直してみると所々覚えていた。
まあ、読書体験なんてそんなものかもしれない。
初めて読んだのは、たぶん高校生ぐらいだっただろう。
1980年代の雰囲気と、村上春樹の小説世界は照応していたように記憶しているのは、その頃に読んだからだ、というのも多分にあると思う。
その語り口に陶酔するとか、主人公に感情移入できたかというと、そうは思わない。
だが、多くのフォロワーやかぶれや似非がいたように思う。
彼ら彼女らは、今でも村上春樹的なるものに、浸っているのかどうかは気になる。
村上春樹自身は変化し続けているのだし、読者はもっと増え続けているのだろう。
大学生の頃には、本人を目撃したエピソードを友人から聞いた。
そのエピソード自体はここでは詳らかにはしない。
だが、村上春樹的なるものに対する、ある意味の都市伝説が生まれていたのだ。
このデビュー作においてすら、そういった影響力は確かに存在すると思う。
だが私自身が陶酔できないのは、何故なのか。
大学の頃の友人は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を強く推していたことを思い出す。
彼とは大学卒業以来連絡も取れない。
そういった、村上春樹を巡る物語を検証して行くのも、残された人生の糧となるだろうか。
全く意味の無いセンチメンタリズムに他ならないのだが。


風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

借りたのはこれ


風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

持っていたのはこれ