雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

アナーキズム/アンリ・アルヴォン

例えば、全く興味を失ってしまった分野の本を読み返してみる。
が、思うようにはかどらない。
気がつけば、本を持つ手は膝に落ちて、眠ってしまっている。
買ったのは高校生か大学生ぐらいだろう。
もう理由も覚えていないが、高校生にとって、文庫クセジュはちょっと小洒落た新書であった。
扱っているテーマも、岩波新書とも中公新書とちょっと違っていた。
この本はアナーキズムに関する入門書的な本だ。
とは言え、他にアナーキズムに関する日本語で読める本など、あまり見当たらないのだから、唯一と言っても良いかもしれない。
アナーキズムニヒリズムテロリズムは、意図的にか意図せずかは知らないが、混同されているような気がする。
確かに20世紀初頭のヨーロッパにおける、アナーキストたちは体制の撹乱を目指し、政治体制の頂点たる国王や政治的有力者たちの暗殺に勤しんだ。
しかし、それはテロリズムであり、アナーキズムの専売特許ではない。
この世のあらゆる主義は自身の観念に捉われた時、容易にテロリズムに転化することは、笠井潔の「テロルの現象学」で解き明かされている。
ではアナーキズムとはいったい何なのか、ということから、この本は始まる。
それはフランス革命によって国家と社会が分離した時に始まる、権力装置である国家を否定する主張なのだという。
権利を侵害し、自由に制限をかけ、義務を課する国家を否定し、自立的な個々人同士の結びつきによる社会を目指すのがアナーキズムだという。
だとすれば、アナーキズムそのものは政治的勢力として現存していなさそうだが、社会の中でその考えそのものは生きているように思える。
そして、どうやら10代の頃に読んだこの本に、意外と感化されている自分を再発見したのだった。


アナーキズム (文庫クセジュ 520)

アナーキズム (文庫クセジュ 520)