2016年の読書はエリアーデから始めよう。
「ダヤン」は最終方程式に関するミステリーである。
だが、謎は明かされない。
謎は明かされないばかりか、主人公の死さえも仄めかされるだけだ。
恐らくこれは知に関する考察であり、知るということと、知りたいということの間の断絶が語られている。
ダヤンが手にした知を、他の誰も、手に入れることが出来ない。
手に入れたいものが何であるかを知らないが、手に入れるためにはダヤンを生死の境をさまよう状態にすることさえ厭わない。
知るということは何であるのか、そのことから開放されたダヤンは清清しく病院を後にする。
「ゆりの花蔭に」は希望に関するミステリーといえるかもしれない。
「天国のゆりの花蔭に」というキーワードを巡って、人々が集まる。
だが、そのこと自体が何を意味するのか明確にはならないのだが、亡命ルーマニア人たちにとって良い知らせがもたらされるという。
つまりそれは希望を意味しているのではないだろうか。
希望とは宗教的なアティテュードのひとつだと思うのだが、だからこそ大司教からの連絡がもたらされるのだろう、と推測するのは穿ちすぎているだろうか。
今年は神秘主義的になるかもしれない。
持っているのはこの単行本。
全集では第三巻に収録されている。