幸田文は幸田露伴の娘、と書いてみても、もはや幸田露伴の読者なんて、学生か年寄りだろうか。
ましてや、娘の幸田文なんて読まれていないような気がしてならない。
この随筆(あえてエッセイとは言わないでおこう)は、新聞に日々掲載されたもののようだ。
そこで綴られる日常と今の自分との距離感に思いを馳せると共に、変わらないものの数を数えてみたくなる。
それ以上に思うのは、幸田文のような上品さというものが、今はどこにあるのだろうか。
この随筆の語り口というものは、子供の頃の東京の東側の感じがする。
それは観光地としての下町ではない。
江戸情緒だとか、下町風情といったものではなくて、そこで暮らす人たちの言葉使い、息遣いのようなものが、立ち昇ってくるように思った。