日曜の午後に何となく読み返してみた。
谷川俊太郎の詩の良さが分かったのは、30代も後半の頃からだった。
西脇順三郎の詩Catullusにもあるように、詩は「髭のない少年」のためにあるのではないといったところか。
ともあれ、この詩集は自身の解説にもあるように、様々なトーンの詩を集めている。
時折、鋭くえぐられるような言葉にも出会う。
だがそれが何かは言うべきではないと思っている。
今まで詩について誰かと話をしたこともないし、密やかな楽しみとして取っておこうと思っている。
ちょっと見かけ、気になったので図書館で借りてみた。
日本の中世における「かわらけ」という雑器をめぐる本である。
そもそも、かわらけとは何かから始め、形態の違いから作り方の違い、使い方、地域の差などを考察していく。
今でこそ、産業革命後の大量生産、大量消費の生活様式が当たり前のようになっているが、かわらけが大量に出土する場所、出土したものから、中世における職工による大量生産、そして社会構造の中での消費のされ方を想像していく。
自分が、歴史というものの見方、考古学の調査方法、といった方面に疎いせいもあるのだけれど、こういった考察の仕方がスリリングで、早く次の頁が読みたいとなるような内容であった。
歴史を縦糸、地理を横糸に、かわらけから見える文化の伝播といったところまで踏み込んでいて、面白いと思った。
ちょっと読んでみようかと借りてみた。
なるほどなと思う部分も多々ありつつ、わからない部分もある。
それはつまり程度の差なのか、個人の差なのかは、よくわからない。
だがこういった体験記を読める程度には回復しているのだろうとは思う。
この本は1992年の初版本だが、恐らく96年ぐらいに買ったのだと思う。
今でこそ、井月についての本が何冊も出ているが、当時はこれしか手に入らなかったのだと思う。
井月の名前を知ったのは、つげ義春の「無能の人」の第6話「蒸発」である。
故郷を捨て、長野の伊那谷に住み着き、乞食同然で亡くなった井月のエピソードがいくつか描かれている。
漫画の主人公には大馬鹿ものだと切り捨てさせているが、あとがきによると続編を書くつもりだったようだ。
それはともかく、井月の俳句はどことなくすうすうと風が吹き抜けているような寂しさがある。
漂泊の俳人といえば種田山頭火の方が有名だろうし、句のスタイルもどちらかといえばオーソドックスな気がするが、それでも時折、深淵を覗き込んだようなすうすうと風が抜けていくような句がある。
井月自身の生涯については、「蒸発」のほうが面白く描かれているが、各句の解説もあり詩を鑑賞するには良いのではないかと思う。
岩波の「井月句集」もちょっと気になる。
いつ買ったのか覚えていないが、装丁が奥村靫正氏の昭和63年の6刷である。
サイバーパンクという言葉も、昭和だったのかと思うと、感慨深いものがある。
今さらあらすじを説明したところで何も意味はないし、登場するガジェットやらギミックを解説したってつまらない。
というか、そもそもどんな物語だったのか全く覚えていなかった。
物語の舞台は千葉だけと勘違いしていて、アトランタ、宇宙ステーションと移動していくのも新鮮だった。
もともと1984年(オーウェルの年)に出版された物語なのに、古びた感じがしないのは、まだ現実が追い付いていない証拠だろう。
ニューロマンサー (ハヤカワ文庫) [ ウィリアム・ギブソン ]