雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

夜のミッキーマウス/谷川俊太郎

日曜の午後に何となく読み返してみた。

谷川俊太郎の詩の良さが分かったのは、30代も後半の頃からだった。

西脇順三郎の詩Catullusにもあるように、詩は「髭のない少年」のためにあるのではないといったところか。

ともあれ、この詩集は自身の解説にもあるように、様々なトーンの詩を集めている。

時折、鋭くえぐられるような言葉にも出会う。

だがそれが何かは言うべきではないと思っている。

今まで詩について誰かと話をしたこともないし、密やかな楽しみとして取っておこうと思っている。

 

 

6Bの鉛筆で書く/五味太郎

子供の絵本で五味太郎氏の名前は知っていたが、エッセイを書いているとは知らなかった。

インタビュー記事を見かけて、それでちょっと興味を惹いた。

読んでみるとなるほど面白い。

良い意味で力の抜けた文章で、すんなり入ってくる。

だが、所々におやっと思うような不穏な空気も秘めている。

そして写真も良いなと思った。

光のコントラストよりも空気のようなものが写っているように思う。

文章を書くことは脳内の散歩のようなもの、らしい。

 

中世かわらけ物語/中井淳史

ちょっと見かけ、気になったので図書館で借りてみた。

日本の中世における「かわらけ」という雑器をめぐる本である。

そもそも、かわらけとは何かから始め、形態の違いから作り方の違い、使い方、地域の差などを考察していく。

今でこそ、産業革命後の大量生産、大量消費の生活様式が当たり前のようになっているが、かわらけが大量に出土する場所、出土したものから、中世における職工による大量生産、そして社会構造の中での消費のされ方を想像していく。

自分が、歴史というものの見方、考古学の調査方法、といった方面に疎いせいもあるのだけれど、こういった考察の仕方がスリリングで、早く次の頁が読みたいとなるような内容であった。

歴史を縦糸、地理を横糸に、かわらけから見える文化の伝播といったところまで踏み込んでいて、面白いと思った。

 

 

 

 

うつ病のことが正しくわかる本/野村総一郎 監修

引き続きうつ病の知識をつけていく。

図解もあり、さっと概観をを把握するのに良かった。

 

リセット/watari

ちょっと読んでみようかと借りてみた。

なるほどなと思う部分も多々ありつつ、わからない部分もある。

それはつまり程度の差なのか、個人の差なのかは、よくわからない。

だがこういった体験記を読める程度には回復しているのだろうとは思う。

 

井上井月/春日愚良子 編・著

この本は1992年の初版本だが、恐らく96年ぐらいに買ったのだと思う。

今でこそ、井月についての本が何冊も出ているが、当時はこれしか手に入らなかったのだと思う。

井月の名前を知ったのは、つげ義春の「無能の人」の第6話「蒸発」である。

故郷を捨て、長野の伊那谷に住み着き、乞食同然で亡くなった井月のエピソードがいくつか描かれている。

漫画の主人公には大馬鹿ものだと切り捨てさせているが、あとがきによると続編を書くつもりだったようだ。

それはともかく、井月の俳句はどことなくすうすうと風が吹き抜けているような寂しさがある。

漂泊の俳人といえば種田山頭火の方が有名だろうし、句のスタイルもどちらかといえばオーソドックスな気がするが、それでも時折、深淵を覗き込んだようなすうすうと風が抜けていくような句がある。

井月自身の生涯については、「蒸発」のほうが面白く描かれているが、各句の解説もあり詩を鑑賞するには良いのではないかと思う。

岩波の「井月句集」もちょっと気になる。

 

 

ニューロマンサー/ウィリアム・ギブスン

いつ買ったのか覚えていないが、装丁が奥村靫正氏の昭和63年の6刷である。

サイバーパンクという言葉も、昭和だったのかと思うと、感慨深いものがある。

今さらあらすじを説明したところで何も意味はないし、登場するガジェットやらギミックを解説したってつまらない。

というか、そもそもどんな物語だったのか全く覚えていなかった。

物語の舞台は千葉だけと勘違いしていて、アトランタ、宇宙ステーションと移動していくのも新鮮だった。

もともと1984年(オーウェルの年)に出版された物語なのに、古びた感じがしないのは、まだ現実が追い付いていない証拠だろう。