雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

言葉・狂気・エロス 無意識の深みにうごめくもの/丸山圭三郎


はじめにことばありきならば


この本を読んだのは、新書版の時。バブルの名残がまだ残っている頃だったか?丸山圭三郎ソシュール研究の第一人者である。その辺りの、ソシュールに対する解釈の新しさといったことはあまり興味がなく、ソシュールを下敷きに展開する無意識論がとても刺激的だった。
ということで、再読してみた。
ざっと言えば、言葉が無意識を分節化し、肉体を分節化し、自我を分節化し、世界を表出させるのだ。全ては、言語という過剰を持ってしまった存在に起因するのだ。
だがそんなことよりも、今回気づいたのは、シュルレアリスムに批判的だったということであった。無意識を徒に弄ぶといった、いわば通説的な批判であるように思えた。
果たして、丸山理論にとってシュルレアリスムは戯れに過ぎないのであろうか?、そんなことを考えてしまう。たしかに、シュルレアリスムは無意識を実体であるかのように扱っている一面もある。だが、自動記述における表出は、言語による分節化への試みと方向は同じではないだろうか?(・・・もう少し考えてみる必要がありそうだ)


持っているのは新書