肥大する自我・諸力の隙間

- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1985/09/15
- メディア: 文庫
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改めて夏目漱石を読む。
ここに描かれているのは、肥大した自意識が社会的な諸力の隙間に逃げ込んでいる姿のように思える。
「高等遊民」を自負し、社会的な成功は自意識に対する裏切りかの様に捉える主人公は、親族からの援助で遊んで暮らしている。社会的な成功者たちとして、親、兄、嫂が登場し、そちら側への参加資格である、「就職」「結婚」を迫るのだが、その通過儀礼は、主人公にとっては、自意識を裏切ることであり、自分が自分で無くなってしまうがごとくに回避し続ける。かつては成功者の側であった旧友が社会的な失敗をし、「金」に困るという事態の中で、主人公の自意識は別の回路を見出すこととなる。つまり自意識を肥大化させてゆく方向としての友人の妻、しかもそれは友人より前に知り合っていたというその一点で、社会的な諸力の隙間から対抗する場へと出て行こうとしてしまう。
主人公の成長物語でありつつ、悲劇でもあるのだが、その実は、「世界が回る」だけで、社会的な諸力の隙間に舞い戻ってしまっているのだ。富、権力、倫理、そういった諸力を我が物にしようとするのではなく、それらの論理の隙間にもぐりこもうとしているその姿を、何故、漱石は描いたのだろうか?これは思考実験なのだろうか?それとも願望に近い妄想だろうか?