雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ナジャ/アンドレ・ブルトン


誰かがそこにいたことだとかを思い出せるのだとしたら

ナジャ (白水Uブックス)

ナジャ (白水Uブックス)


ブルトンの代表作と言われている小説だが、これは小説なのだろうか?
小説と詩と評論とエッセイの間に存在するかのようだ。
シュルレアリスム的な時間、それを実現させたのは、「ナジャ」という女性の謎めいた発言に暗示されて、やがて明らかになる符合の体験ということであるかのようだ。
しかしそれは、ブルトンの惚れた弱みに過ぎないとも言えると思う。
エキセントリックな態度で接してくる女性に、恋愛感情を錯覚しているというのは、ありふれた小説の類型のひとつではないだろうか?
ナジャを追いかけ、暗示と符合を辿る中で、シュルレアリスム的な時間を体験する、それはナジャのなせる業である一方で、ブルトンの作り上げた時空間でもあるのだ。
これはそれを追体験してゆく小説であり、冒頭のほうにある自分とは何かを語り行く過程に巻き込まれてゆく作品であるのだろう。
しかし、ブルトンの作品は謎めいた言葉を散りばめ、余韻を楽しませる。
 「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう」
この最後の一文だけでもこの作品は読む価値があったと思わせるのだ。