雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ/吉本隆明


いまだからこそ

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)


吉本隆明を初めて読んだのは高校生の頃だったろうか?
その重厚な文章は、高校生のアタマではさっぱり判らず、それでも何冊も読み通していくうちに、次第に何かを掴んでいったような気がする。
批評の矛先は現代文学であったり、古典であったり、評論であったり、思想であったりしたのが、ちょうどその頃から対象がサブカルチャーに向かっていった。
なぜそんな小難しいことを言うのだろう?そもそも批評すべき対象なのか?知識人の驕りとも言うべき遊びじゃないのか?
そんな風に感じたりもしていた気がする。
そして、自分の日常生活が忙しくなるにつれて、次第に評論系の本から遠ざかっていき、吉本隆明も本棚の奥へと片付けてしまっていた。
この本は、それでも数年前に、久しぶりに買ってみようかと思わせる本だった。
時事問題に正面から向き合うと同時に、老いの問題にも向き合っている。
吉本隆明のすごさは、そこにあるのだという気がした。
常に最新でいようとすること、感覚を錆付かせず、常に時代の雰囲気と同調していること、そしてそれが的を得ていること、そういうことなのだと思った。
言語そのものに対する考え、コミュニケーションに対する考え、教育の問題、老いの問題、昔の著作のように重厚に問題を論ずるのではなく、軽やかに語りながらも、背後にある深い洞察は流石だというほかはない.