雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ポケットに名言を/寺山修司


きりはなされてさいこうせいされてさいはいちされる

ポケットに名言を (角川文庫)

ポケットに名言を (角川文庫)


名言とは何か?
そこにあるのは、それを名言として選ぶ人物のセンスに他ならない。
寺山修司にはまっていた中高生の頃は、滅多矢鱈にオリジナリティに真実を求めていたように思う。
だが、今にして思うのは、オリジナリティこそが幻想であり、あらゆるものは差異から生まれる運動に他ならないのではないだろうか?
名言とは、元の文脈から切り離され、再構成された言葉たちであり、再配置には選者のセンスが現われもする。
これは松岡正剛の言うところの「編集工学」に近いのかもしれない。
寺山修司の名言を選び出すセンスは、他の寺山修司の著作よりも、もっと寺山修司らしさが表れているような気がした。
何が「らしさ」か?
それは読んで感じてみること以外に体験する術はなく、他の著作との差異においてしか知りえないのではないだろうか?
映画のセリフ、歌謡曲の歌詞、古代ギリシャ哲学者の言葉、サド、バタイユ四畳半襖の下張り、と引用する対象の選び方、そしてその並び方、計算しつくしたようで無造作に置かれているようでもあり、結局は、寺山修司の世界に引き込まれている。