雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

尋ね人の時間/新井満


哀しみと喪失と予感

尋ね人の時間 (文春文庫)

尋ね人の時間 (文春文庫)


いまや新井満と言えば「千の風になって」であろう。
だが、私にとっては大学生の頃に読んだこの本が微かに記憶に残っていた。
さほど続けて読もうという気にはならなかったようだ。
改めて読んでみると、二十代では判らなかったものが見えてくる。
すぐに目に付くテーマは主人公の不能であり、その哀しみが、それまでの人生観へすり替えられようとしている。
また、次に目に付くテーマは喪失である。
肉体の喪失、声の喪失、家族の喪失、性的なるものの喪失、そういったイメージの連鎖である。
そして、喪失の果てに繋がる死への予感がさらに埋め込まれている。
家族、そして老人たち、井戸の記憶といったイメージの連鎖である。
この小説はそういったイメージの連鎖であると言えるようだ。
二十代の頃には見えなかったのは、不能の哀しみと性的なるものの喪失と死への予感への連鎖である。
また、主人公以外の人物が他者として存在するのではなく、自己へ対比される存在として描かれることにも現われているのだが、ある種の自己円環的な閉塞感を感じる。
それはバブル経済の根底で加速度的に肥大していた閉塞感に通底していたのではないだろうか。


尋ね人の時間

尋ね人の時間

持っているのは単行本