雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

浅酌歌仙/石川淳、大岡信、杉本秀太郎、丸谷才一


共同主観的な詩の生成の過程

浅酌歌仙

浅酌歌仙


俳句はもともと連歌の発句が独立したものであるという。
17文字の中に世界を切り取るのもひとつの詩法であるが、詩人(歌人と言うべきか、連歌師と言うべきか・・・)が寄り集まってひとつの歌仙を仕上げるのもひとつの詩法であるに違いない。
もともと連歌にはさまざまな形式があり、複雑なルールで作り上げていくもののようだ。
歌仙はその中でも36句で構成される短いものであるらしい。
そもそも詩における作品だとか作者だとかいった考えは、近代以降の考えであり、「○○が詠んだ歌」と「○○が詠んだと云われている歌」の違いはあまり無いのではないか、と思っている。
むしろ、詩が生まれる場としての歌会や句会、八代集のように歌を集めて編集する行為など、生成する過程を楽しむことが重要だと思われていたのではないかと想像している。(専門の研究者ではないので、確信は無いが)

前置きが長くなったが、そういった「歌仙を巻く」行為を、石川淳大岡信丸谷才一杉本秀太郎らが、実践しているのがこの本である。
ここに現れるのは、技巧の妙味だけでなく、共同主観的な詩の生成の過程が見える。
歌仙そのものでは判らないが、筆者たちの対談による解説が、この本の妙味である。
発句の立て方、前の句の受け方、継ぎ方、イメージの繋がり、諧謔、様々な要素が絡み合って歌仙が出来上がる、その過程が興味深い。