雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

新編「昭和二十年」東京地図/西井一夫、平嶋彰彦


消えていた空白を埋めるための時間の旅

新編「昭和二十年」東京地図 (ちくま文庫)

新編「昭和二十年」東京地図 (ちくま文庫)


著者は『東京都三十五区区分地図帖』と出会い、その古地図を手に東京を歩き回る。
そこには消し去られた地名があり、地名にまつわるエピソードがあり、終戦(敗戦)という時刻の前後の人々の姿がある。
著者は昭和21年生まれで、子供の頃の記憶には戦後の面影があったであろう。
この本の中で、その生い立ちにも触れているが、幼少の頃は江戸川区の小岩に住んでいたようだ。
自分が生まれた年の地図を片手に、1980年代の東京を歩いている。
地図に記されているのは戦災によって焼かれた街の記録であり、眼前にあったのは次々と駐車場や空き地へと破壊されゆく街であったろう。
破壊されていたのは、物理的な住居というだけでなく、それまでそこに住んでいた人々の生活である、と著者は言いたいようだ。
そうやって破壊される側にいるのは、貧しい者たち、差別される者たちであり、そういったエピソードを拾い上げようとしている。
永井荷風は失われたものに愛惜感じ、赤瀬川源平は意図して作られたものが無意味に取り残されていく姿を発見したが、それらとも違う視点で東京を眺めている。
著者が書いているように、この本は記録の古地図と眼前の景色の間にある記憶の空白を埋めようとする旅の記録であり、さらに言うなら記載されている事件や出来事は著者自身の私的な歴史に他ならない。(そして、どんな詳細な歴史よりも、私的な歴史だけが、その人にとっての現実に他ならないであろう)
空間の移動としての旅より、消えていた空白を埋めるための時間の旅であり、それによって補足される、貧民、被差別民の姿、闇市の光景、そういった文脈で、その地名にまつわる個人の歴史を越えた過去にまで射程が広がっていく。
街は変わる。
変わるとそこに何があったのか忘れる。
だが地図という記録によって、消えていた記憶の空白が蘇る。
そんな旅がある。






(ネットで知ったが、著者の西井一夫氏は2001年に逝去されていたとのこと。合掌)