雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ひとり暮らし/谷川俊太郎


ラヂヲ

ひとり暮らし (新潮文庫)

ひとり暮らし (新潮文庫)


老いた詩人の淡々と、飄々とした生活が伺える。
老いをテーマにした吉本隆明のインタビューを思い出すと、その人となりが見えてきて面白い。
結婚式より葬式が好きだ、と言ってみたり、様々な日常の出来事が語られるが、ちょっと、あぁと思ったのが、古いラジオを集めているという。
そういえば自分もラジオは好きで、自作したり、布団に包まって深夜放送を聴いたり、FMアンテナを立てたり、エアチェックしたりしていた。
今でもラジオは聞くのだが、主に車の中がメインで、昔のようにラジオの前に座って聞いたりはしない。
ラジオを聴くという行為が希薄になっている。
谷川俊太郎もラジオについて事細かに書いているのではなく、少年時代に戻りたいと思っているのでもなく、古いラジオを集めることが自分の物語を求めているのではないか、と考察している。
だが何となくその感覚はわかる気がする。
また、死生観(谷川俊太郎の言葉で言うなら、死生技)についても、言及している。
死んだ後のことはいくらでも言える、だが、いかに老いていかに死ぬか、死ぬまでどう生きるか、ということは難しいという。
なるほどね、と思う。
その谷川俊太郎の心境を理解しても、それに対して言葉を持ち合わせていない自分がいる。
死ははるか遠いところにあったものが、いつの間にかちょっと見えるか見えないかのところまで来ていることを感じる。
一生のうちの折返し地点を、いつのまにか回ってしまったことに、ある日気づいてしまったのだから。
それが成長であり成熟であるとは思うのだが。
読み通してみると、ひとつひとつのテーマは深く、様々なことが綴られている。
この本はたまに手にとって拾い読みがしたくなる、谷川俊太郎の詩のような本だったことに気づく。