雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン/プラトン


ソクラテスはなぜ裁かれたのだろうか?
それをソクラテスの立場から明らかにしようとするのが、「ソクラテスの弁明」であろう。
それは訴えを起こした人間の論点の矛盾を突くことで、その目的は達せられているように思う。
だが、自分の主張をしだした途端に、ちょっとおかしなことになっているように見える。
知は真実であり、真実を追い求めることが善であり、善を為すことが正義である、という。
すなわち、知性の名の下に正当化される論理では無いだろうか。
ソクラテスは「知らないということを知っている」という点において、自身が他より優れているのだという。
それは優れているということだろうか。
そして、自身の権威付けは神託によるものであり、この弁明が行われた裁きの結果より優越するという。
知−真−善−正義の系列に神託を付け加えることで、その強化を図っている。
そんな人物が身近にいたらどうだろうか。
裁判員制度ならどんな評決になるのか。
だがそんなソクラテスよりもやっかいで、尻馬に乗っているのが、プラトンのようだ。
プラトンソクラテスの価値観の系列に、美を加えようとしている。
弁明では無かった価値観である美が、クリトーン、パイドーンでは現われてくる。
それは、プラトンの戦略であり、巧妙なすりかえが行われているように思う。


ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン (新潮文庫)

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