雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ノストラダムスの大予言―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日/五島勉


改めて言うまでも無いが、「1999の年、7の月に恐怖の大王がやってくる」、という予言めいた詩句でノストラダムスを解釈して売れまくった本、とでも要約してみよう。
もう手元には無いのだが、中学生の頃に古本屋で買った覚えがある。
内容はもううろ覚えだが、ノストラダムスの詩句を解釈するに当たって、当時の社会不安や都合のいい事例を引き合いに出して、その解釈の正しさを証明していく、という流れだったと思う。
「AはBであると考える」
「なぜなら、Bに適合する事例として、C,D,E・・・、などがあると考えられる」
「従って、AはBと考えるのが正しい」
と、こんな感じだったと思う。
解釈が正しかったかどうかは、こうして2010年を迎えている事実から、何も言うこともあるまい。
様々に引き合いに出される事象として、惑星直列やグランドクロスというのもあった。
太陽に対して惑星が一直線上に並ぶことで、太陽に影響を及ぼし、天変地異を起し、その証拠に過去の世界史的事件と符合する、といった主張だったと思う。
グランドクロスも、地球から見た太陽、月、惑星の配置が十字に並ぶことで、(以下略)
こういった事象を扱うときに、「科学的」というキーワードがよく登場する。
あるいは、「現代の科学では説明できない」というのも、よく見かける。
科学に特権的地位を与えて、科学に依存することを偽装したり、科学に依存しないことを強調し、結論を保留したままで不安だけを残す、といった手法に思う。
中学生の頭では、何か胡散臭いと思いながらも、上手く理解できなかったが、それらについて、小説として読んでみたらどうだったのだろうか、と今になって思うのだが、もう絶版で手に入らないようだ。