雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

生と死の境界線―「最後の自由」を生きる/岩井寛、松岡正剛


この本もまた図書館で借りた本である。
この本を知ったのは、松岡正剛の千夜千冊の第1325夜である。
それまで精神科医である岩井寛という名も、「森田療法」のことも知らなかった。(むしろ、興味が無かったと言うべきかもしれない)
その話はさておき。
久しぶりに凄絶な本に出会った、と思った。
この本は、著者(口述だが)である岩井寛が癌の手術を終えたのだが、全身への転移を自覚し、余命幾許かの日々で松岡正剛に様々な話をした記録、とでも言えようか。
40時間に及ぶテープから起こした話は様々な要素を含んでいる。
自らの死を自覚したときに、人は何を考え何を思うのか、そういった視点で読んでしまうと、何か大事なものを見落としている気がする。
語られているのは、著者自身の生い立ちだったり、青春の思い出だったり、精神療法に対する見解だったり、死生観だったりと話はあちこちに飛ぶ。
口述だから話が今ひとつわからないところや、もっと説明が欲しいところもあったりする。
だが、それ以上に迫り来る肉体の死と、それに対して最後まで抵抗し、生きようとする「岩井寛」という人間の闘争なのだと思った。
癌という異質な生命体が自らの肉体を蝕み、途方も無い苦痛と戦いながら、「生」の最後の瞬間まで生きようとし、その自らを医師の視線で隈なく観察している。
東洋思想をベースに死生観を語り、死とは完全なる自由である、と何度か繰り返している。
だが、肉体が癌に朽ち果てようとしているのに対し、抗癌治療を行い、神経ブロックを施し、痛みをシャットアウトしながらも、脳と口だけは最後の最後まで生かし、生の意味を自らの肉体で問いかけている。
最終章は特に凄絶さの極みだと言えよう。
神経ブロックとモルヒネシロップでの痛み止め、点滴による栄養補給、肉体は人工的に生かされ、そこへ容赦なく転移して行く癌。
譫妄状態へと次第に近づきつつある意識に抗うように、生の最後の瞬間を見極めようとしている。
そして、生の意味、人間の尊厳とは、と問い続ける。
苦痛に抗い、病状を克明に語り、自分の一生を振り返り、精神療法と東洋思想の関連を語り、幻覚までも伝えようとする。
それらの幻覚(例えば、右手と左手の争い、自らの病室での賢人会議の様子など)に対しても意味を読み取ろうとする。
医師としての矜持というより、人間としての強さだろう。
やがて、口述もままならなくなってくる。
松岡正剛の訪問も予定できなくなっても、電話で伝えようとする。
終わりのほうに、こんな電話の内容がある。

それで、結局‥‥意識が自分で支えられなくなっていくということは‥‥僕にとっての死なんです。
これまて僕は、意識というのは死とは別物だと思っていたんです。ところが‥‥ほとんど一致だということがわかってたきましたね。まず‥‥ほとんど一致だなあ。つまり‥‥ついおとといまでは、かなり高級な意識を話していたんです。そういう高級な意識を押し出して‥‥それについて‥‥論じるということが、ああ、かなりできなくなってきたわけです。そうすると、低俗な意識も論じられなくなる。それが死にも一緒につながってくるんだなあ‥‥。そういうことがわかってきたんですね。

この言葉の意味を、私は理解できているのか、今は良く判らないが、相当な重みがあるのだと思う。
まさに「生と死の境界線」について語っている。
これほどの本はなかなか出会えない気がする。


生と死の境界線―「最後の自由」を生きる

生と死の境界線―「最後の自由」を生きる



以下、蛇足
(1)生の最後を見届ける考えから、埴谷雄高の「死霊」を思い出した。第何章だったか、脳にゾンデを挿し、針の触れを観察する、というエピソードがあったはず。
(2)祖父が亡くなる前に幻覚を見ていたことを思い出した。祖父は病室の戸棚を指差して「あそこに蛇がいるだろう?」「あぁ、だから扉がついているのか」というようなことを言っていた。当時、大学生の私には、その話を聞くことしかできなかったが、それは死の象徴とその境界線のイメージだったのかもしれない。その蛇はどこに行ったのか?扉は開けられたのだろうか?