今も交通事故で療養中の岡崎京子の代表作(と思っているし、そういう評価も多いようだ)を、今更ながらに読み返してみる。
この「リバーズ・エッジ」が描かれたのは、1993〜1994年である。
舞台は大きな川の河口に近い町であり、主人公たちは高校生だ。
(ここから先、マンガの粗筋を書いてしまうような野暮なことはしないよう気をつけよう)
物語の中心はハルナと山田である。
といっても、ボーイ・ミーツ・ガール的なラブ・ストーリーは展開しない。
二人には各々の友人たちが登場するのだが、高校生の狭い世界であり、登場人物たちを繋ぐ線は複雑に交錯する。
或いは、各々の登場人物たちが持つ世界を円とするなら、狭い平面の中で幾重にも重なり合っている。
物語は関係線の交錯、円の共有部分よりも、別のところで進行する。
主人公を含めた登場人物たちは、彼らの「高校」という場とは別の世界でも生きている。
それは高校生活の関係性の平面に対する、垂直線のようなものとしてイメージできるだろう。
そしてその垂直線は平行であったり、折れ曲がって別のところで交差したりする。
そこは死や性や狂気や虚無感を纏った非日常の世界である。
時折、それらが引き起こす事件や出来事が、高校生活に闖入する。
だが、それは生命を賭した死や狂気との対決としては現れない。
ただ一人、狂気に憑かれて自殺するが、それは中心人物たちの価値観や世界観を変えはしない。
日常と非日常は対立項として現れるのではなく、地続きの距離感の無い空間の一部であるかのように描かれている。
良くも悪くも高校生たちの等身大の世界がそこにあり、それと直交する同じ大きさの非日常の世界が広がっている。
主人公たちの高校生活は破綻もしないし、非日常を追い払ったり、抑圧することもしない。
傍に大きな黒い川がそこに流れているが、ただそれだけだ。
先に「ボーイ・ミーツ・ガール的なラブ・ストーリーは展開しない」と書いたが、主人公たちの等身大の非日常が交錯し共有する、ある種のラブ・ストーリーがあることを描いている、とも思える。
少女マンガというジャンルを語るほど熱心な読み手ではないが、作者のあとがきからも、何か別の物語を模索している意気込みが透けて見える。
その結果、この物語において、ボーイ・ミーツ・ガール的な枠組みは日常の世界では、伏されている。
しかしその一方で、非日常の世界では緩やかな姿をとってその枠組みは導入されているようだ。
従って、その緩やかなもうひとつのボーイ・ミーツ・ガール的な枠組みをなぞって行くこと、それがこの物語の味わい方かもしれない。
(さて、野暮天扱いされずに済んだだろうか?)
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