雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

徳島の盆踊り―モラエスの日本随想記/W.de モラエス

モラエスは明治・大正期のポルトガルリスボンに生まれ、海軍士官から領事の仕事に移り、職を辞してから徳島に隠居し、徳島の地に没した。
徳島に隠居したモラエスはポルトガルの新聞に、日本に関するエッセイを寄稿している。
この本はそれらのエッセイをまとめたうちの一冊である。
タイトルとなっている「徳島の盆踊り」とは「阿波踊り」のことであろう。
盆踊りという言葉自体が、死者を追憶するための「盆」と祭りを意味する「踊り」の結合であり、そこに死者を追憶するということをモラエス自身が理解するためのキーワードとして選ばれているようだ。
モラエスはなぜ徳島に移り住んだのか。
それはこの本でも言及されているように、内縁の妻であった「ヨネ」(ただし、本文に名前は明示されないのだが)の死と彼女の故郷である徳島に接し、彼女の死を受け止めるためだったように思える。
この本は枕草子土佐日記方丈記徒然草への賛美、徳島の町や人々の言及などから、死についての考察へと突き進む。
モラエスによると日本の死生観は、仏教と神道と死者崇拝によって成り立っていると分析している。
死者を弔うための葬式、季節の節目における祭り、お盆における故人への追憶、そういったもので日本人の生活は彩られている。
最愛の人であった「ヨネ」への追憶は、「盆踊り」の時期にモラエス自身の近くに彼女の霊が「帰ってきている」という感覚を理解することで、追憶が昇華すると思い至っているようだ。
だが、モラエスにとってそれを理解できても、違和感が拭えない。
彼女の生まれ育った地に生活し、徳島の人々と共に暮らし、死生観を理解しても、満たされない気持ちがどこかにあるのだろう。
それは、背景にある文化の違いかのように結論付けようとしているが、実は彼女を喪失した悲しみがあまりに深く、追憶と共にその悲しみが蘇って来たのではないだろうか。
孤独な異国の地で季節は巡り、盆踊りの時期が到来し、追憶と悲しみを重ね、月日が過ぎてゆく。
そんな姿が見えてくる。

徳島の盆踊り―モラエスの日本随想記 (講談社学術文庫)

徳島の盆踊り―モラエスの日本随想記 (講談社学術文庫)