雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

人間について/マイケル・ポラニー

ハンガリーのポラニー兄弟の弟。
兄は経済人類学者のカール・ポラニー(マジャール語では、ポラーニ・カーロイ)であり、その弟である、マイケル・ポラニー(ポラーニ・ミハーイ)は化学者にして、科学哲学者とでも言うべきか。
何よりも「暗黙知」を提唱した。


だが、この「暗黙知」の概念も、世間で使われているものとはちょっと違う。
例えば、企業のQC活動のテーマでよく謳われる「見える化」の対象となるような、コツ的なもの、経験則的なものを指しているのではない。
個々の細部を明示的に知ることの背後に、全体を包括的に把握するような働きがあり、それが暗黙的に働くことにより、明示的な知識がより正確に、より充実する。
例えば、テニスでラケットやボールに絶えず注目していたのでは、良いサーブは打てない。
むしろ、ラケットを手の延長かのように、まるで自分の体の一部として意識しない状態になって、サーブが決まるようになる、ということだ。
明示的知識と対になる概念なのではない。
むしろ、知の働きそのもの、知ることのダイナミズムと捕らえたほうがいいかもしれない。
テニスの喩えでは、身体意識のことのように見えるが、ポラニーは手際よく、概念の階層構造にそれを展開する。
そこでは機械の喩えが使われる。
機械の部品をいくら知ったところで、何のための機械かは理解できない。
ある概念の正しさは、その細目に於いて捉えるのではなく、包括する概念の目的において信用するのだという。
つまり、諸細目の理解と同時にメタレベルでの判断をする、ということのようだ。


この本に於いて、ポラニーはまるで手品のように、これらの、暗黙知の理論、層の理論をあやつり、
1.われわれ自身を理解すること
2.人間の使命
3.歴史を理解すること
と話を進めている。
この本の考察の終着点は、
 「人は何のために生きているのか」
であるようだ。
短いながらも、結構、重厚な内容である。


人間について

人間について