雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

シッダールタ/ヘルマン・ヘッセ

ヘッセを知ったのは、高校の倫理の授業で、「車輪の下」を読んだからだと思う。
だが、「車輪の下」がどんな物語だったのかも覚えていないし、そのときに買ったであろう文庫本も、もう本棚には見当たらない。
そんなヘッセの作品でも、この「シッダールタ」は何となく気になる作品だった。
読んだ作品の内容すら覚えていないのだから、ヘッセという作者に対する興味は無いが、作品には興味があるというのは、ちょっと妙な話だ。
たまたま、図書館で見かけたので、借りて読んでみた。
そして、大きな勘違いをしていたことに気づいた。
この作品の主人公のシッダールタは、仏陀のことではなかった。
まったく、思い込みというのは、厄介なものだ。
この本の主人公であるシッダールタは、バラモンの家に生まれ、家を飛び出して沙門になり、仏陀に出会い、遊女に出会い、世俗の甘い蜜を吸い尽くした後に沙門に戻り、大悟に至る、という物語とでも要約してみようか。
主人公は求道者として、自分自身というもの、生きることの意味を追い求め続け、やがて大悟に至る。
だが、本当にシッダールタは大悟したのだろうか。
むしろ、インド哲学的なるものの、永遠の相の下にある宇宙の真理といった考えを、根本において否定しているようにさえ思える。
おそらく、ヘッセが思っていたほどに、悟りの境地は甘くはない、ということは言えそうだ。


シッダールタ (新潮文庫)

シッダールタ (新潮文庫)