安部公房が刺激的でたまらない。
この本は、安部公房が生前発表した、最後の長編小説である。
脛にカイワレ大根の生えた主人公が、病院に行ったところ、自走するベッドに乗せられ、冥界巡りをする。
そこに生とは何か、死とは何か、といった意味を求めるのは、この物語の読み方として相応しくないようだ。
むしろ、荒唐無稽な着想と、物語を展開させる悪意のこもったユーモアを読み取った。
その、不愉快なほどの「黒いユーモア」に対して、読み進めるほどに軽い苛立ちさえ覚える。
冥界での亡き母との再会と芝居がかったやり取り、ご都合主義のように物語の転回点で登場する垂れ目でトンボ眼鏡の看護婦とその分身とも言うべき少女たち、冥界のイコンたる三途の川で鬼たちが繰り広げるエンタテイメント化された石積みのショウ、交通事故を映画に記録する垂れ目の女の家に下宿するアメリカ人、尊厳死と安楽死の議論の果てでの殺人。
くだらない現世と同じように、くだらないあの世を、主人公は彷徨う。
しかしその主人公だって、冥界を彷徨う理由はカイワレ大根を治癒すべく硫黄泉を探しているだけなのだし、あまつさえ垂れ目の女を探したり、彷徨っている理由は曖昧になってしまう。
物語の流れだって、原因と結果の連鎖ではなく、次々と飛躍する。
会話だってかみ合っているのかいないのか。
それはまるで、夢の文法そのままだ。
この物語は、口当たりの良い言葉で、読み手を酔わせる類の物語ではない。
かと言って、読み手を拒否しているのでもない。
これは、読み手を苛立たせ、神経を逆撫でするといったエンタテイメントなのだと思った。
この晩年の作品は、それまでの作品に比べて、言葉は加速し、世界のバランスは更に歪曲しているようだ。
そして物語の終わりには「箱男」が登場する。
それは、他者からは存在しない、視線だけの存在である。
脛のカイワレ大根の治癒を求めて、主人公は非存在に辿りついてしまう。
死とは意味も価値もないもの、この物語はそう伝えているように思えた。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1995/01/30
- メディア: 文庫
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