雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

かもめのジョナサン/リチャード・バック

なんとも薄気味悪い物語だ。
群れから離れたところで、餌をとることを軽蔑し、飛ぶことの限界を試しているジョナサン・リヴィングストンは、やがて長老から追放される。
そして、別の世界で飛ぶことの究極の意味を知る。
追放された、つまり選ばれたカモメ達に、それを伝えるだけでは飽き足らず、元の群れに戻り感化してゆく。
逆の視点で考えてみる。
群れから外れたところで、奇怪な行動をしているカモメがいる。
群れのためにならないので追放するのだが、奇妙な言説を広めに戻ってくる。
やがて感化されるカモメが増えてゆく。
ジョナサンが手にしたのは真の自由だという。
生活や日常よりも、真実だとか意味だとか、そんなものを欲しがる。
しかも、それを広める使命感に駆られている。
カモメにとって、餌を取ったり群れの中で行動するといった基本的な生活より、孤独であっても飛ぶことの真の意味を追い求めたいというのは、観念に取り憑かれた不気味な姿に見える。
それは、理念だとか理想だとか思想のために、日常生活を軽蔑し革命を夢見る人間の姿のように見えてしまう。
ジョナサンは後継者を育て、去ってしまうのを暗示して、物語は終わる。
解説によるとヒッピー文化の中でこの本は広まったという。
この物語の薄気味悪さを知ってしまった21世紀の今、無条件に賞賛するのは誰だろうか?
と思う。


かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)